笑顔と感動に出会う旅

道宗道 宮谷の頭



2016年5月15日 「平成の道宗道」 行徳寺からたいらスキー場9.6km歩く

平成の道宗道:行徳寺から井波・瑞泉寺まで28.8km行程 

今回は、世界遺産バス(梨谷〜西赤尾間)利用して行徳寺ー漆谷道場ー小倉山ー宮谷の頭ーたいらスキー場9.6km歩きました


                  


<今回の行程>
たいらスキー場Pー城端駅発7時10分世界遺産バス:梨谷バス停(梨谷大橋)7時28分発ー西赤尾着7時54分(運賃800円)−行徳寺&トイレ標高341mー下島ー漆谷道場ー五箇山合掌の里ー小倉山登山口標高354m−小倉山標高922m−獅子越分岐標高1028m−宮谷の頭標高983m−宮谷の頭登山口・林道標高866mmー林道歩きー宮谷尾根登山口分岐標高797m−宮谷尾根登山口標高629m−旧道歩きーたいらスキー場P標高622m

<参考:ルート時間>
行徳寺(8時5分出発)ー50分ー小倉山登山口ー120分ー小倉山922m−30分ー獅子越分岐1028m―15分ー宮谷の頭983mー30分ー宮谷の頭登山口&林道ー20分ー宮谷尾根登山口分岐ー25分ー宮谷尾根登山口ー25分ーたいらスキー場P (駐車場所到着時間13時44分でした。)


<道宗道と小倉山>
菅沼合掌集落の対岸の山一帯を小倉と呼び山としての名はありません。小瀬形から葎島(むくらじま)、皆葎(かいむくら)を経て上梨へ通じる道は崖道伝えの難所であったため小倉山を越え通じていました この山越えの道は、本願寺八代宗主蓮如に謁見し教えを受けた赤尾道宗が井波・瑞泉寺に参詣するために通った道であった。現在は、登山道小倉線(中部北陸自然歩道)となり、道宗路として伝わっています。2000年とやま国体成年女子山岳縦走ルートに使われた。


<山岳展望・山座同定>
小倉山登山道標高788m展望所:猿ヶ山 大門山 見越山 奈良岳 大笠山 笈ヶ岳  野谷荘司山 白山連峰 
小倉山〜宮谷の頭縦走ルート:大滝山 人形山 袴腰山 高落葉山 高清水山 金剛堂山


                
                
                


<赤尾道宗>
赤尾道宗は、蓮如上人の御直弟子 赤尾谷の新屋に誕生して俗名を弥七または弥七朗と称し法名を道宗といい浄土真宗本願寺第八代蓮如上人の教えを受け篤い信仰生活をおくった人 五箇山赤尾谷の出身であったことから「赤尾の道宗」とも言われた 蓮如上人の入滅後3年、道宗40歳ごろ 「道宗心得二十一箇条」なるものを立てて、身を責め心を責め報恩の誠を尽した生活を送り真言の信徒としてあるべき道を極める1516(永正13)年65歳で亡くなった。

赤尾の道宗申され候・・・・御一代記聞書46
 一日のたしなみは、朝つとめにかかさじとたしなむべし
 一月のたしなみは、ちかきところ御開山様(親鸞)の御座候ところへ参るべし
 一年のたしなみは、御本山(京都)へ参るべし
道宗は、「同じお言葉をいつも聴聞しているが、何度聞いてもはじめて耳にするかのようにありがたく思われる」といわれました・・・・御一代記聞書131

道宗伝説・舟曳道の話
ある年の暮れ、蓮如上人が井波・瑞泉寺で年を越されると聞き、道宗は元旦の勤行に参詣するため真夜中に赤尾を出たがおりしも記録的な大雪となり、道宗は途中で身動きとれなくなり刻限までに瑞泉寺着かないので、懐中仏を取り出しお勤めの念仏を唱え始めると 突然深い雪におおわれた尾根に舟を曳いたかのような尾根道となり歩くことができた。その頃蓮如上人は「道宗は必ず来る 勤行の時間を延ばそう」と言われた やがて雪まみれの道宗がやってきた時、蓮如上人は鐘と太鼓をたたいて、元旦勤行の開始を知らせよ」と命じられた この時から元旦に響く鐘と太鼓は「道宗打ち」と呼ばれ、道宗が歩いた尾根道を「舟曳道」と呼ばれるようになりました。


                
                


<行徳寺>西赤尾
道宗道の起点となる真言大谷派寺院 1513(永正10)年念仏道場として創設された。茅葺きの山門は江戸時代末期の建築 庫裏は式台がある合掌造り。 道宗自筆の「道宗心得二十一箇条」や蓮如上人直筆「御文」や割木の上に横たわる道宗姿の木像が安置されている


<道善寺>東赤尾新屋
道宗道のもう一つの起点となる真宗大谷派寺院・道宗の生誕地とも伝えられてます 1721(享保6)年真宗大谷派本願寺より寺号を下付された。本堂は1808(文化5)年に再建された 蓮如上人木像・道宗木造・丸池の霊水・道宗手造りの庭・火鉢献上の岩・山科本山へ毎朝遥拝した舟形岩(礼拝石)


<五箇山>
五箇山は富山県南西部庄川上流部。旧平村、旧上平村、旧利賀村の三か村 古くには、約70の集落があり赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷の五地域の総称。江戸時代、加賀前田藩に属し、砺波郡五ヶ山組と称し、赤尾谷組33村、利賀谷組37村に分かれていたが、明治22(1889)年三村となる


                           

参考資料:「古道 道宗道」:道宗道の会 真宗大谷派HP 五箇山の昔ばなし 第19話 五箇山自然文化解説員養成講座資料