笑顔と感動に出会う旅

越知山・大谷寺



2016年12月18日泰澄の道 越知山612.8m・大谷寺の裏山(元越知山または堂山)


泰澄が十四歳のころ福井市三十八社の地から修行した行者道で越知山(おちさん)&日本百霊峰巡礼また泰澄が晩年過ごした大谷寺(おおたんじ)の裏山(元越知山または堂山)・九重塔、別山、越知山権現、奥の院遊歩道と越知山大谷寺住職さんのお話



                                 

                                 展望台から福井市方向
<泰澄の道:越知山行程>・・・福井県丹生(にゅう)郡越前町と福井市にまたがる丹生山地の主峰
北陸道福井北IC−R416−新保交差点ー大宮交差点左折ーR6(福井大森河野線)ーR3ーR184(別所朝日線)上糸生杖立
越前町奥糸生多目的集会施設(旧小川分校)Pから登る行者道ルート 登り2時間半 下山1時間50分

<行程>
小川登山口標高94mー1合目・2合目峠越え&林道ルート分岐ー木の実谷分岐(3合目〜4合目間)−独鈷水分岐広場(5合目〜6合目間)−本道・展望コース分かれ(6合目〜7合目間)ー別山・越知神社分岐ー越知神社ー日宮(ひのみや)神社(護摩堂)・室堂ー大師堂ー千体地蔵ー神宝庫・石仏ー奥ノ院・越知山頂三等三角点612.8m−臥行者旧跡ー殿池ー展望台ー電波塔ー別山ー小川登山口分岐ー林道ルートで2合目ー小川登山口

<参考>
3〜5センチの積雪と落葉のダブル登山道で、「ゆっくり登山」 小川登山口6時45分出発ー2合目7時10分峠越えルートー5合目7時56分ー木の実谷分岐8時10分ー独鈷水・地蔵広場8時20分ー別山・越知神社分岐9時19分ー越知山9時36分ー展望台10時20分〜10時50分ー別山10時57分ー小川登山口・越知神社分岐11時01分ー小川登山口着12時44分

<他の登山ルート>
◎尼ヶ谷ルート 室堂まで車で、楽々参拝できます
◎武周ヶ池ルート 武周ヶ池神社ー尼ヶ谷ルート経由
◎花立峠ルート 越前町(旧織田町)笈松集落ー悠久ロマンの杜ー新花立峠Pから40分
◎木ノ芽(実)ルート 平成26年に整備された。急登の為雨天注意 「かまが谷の滝」「なかん滝」「お題目岩」「慶松堂跡」の見どころがある今後登りは行者道ルート、下りは木ノ実谷ルート周回できる

<越前五山(白山・日野山・文殊山・吉野ヶ岳・越知山)登頂記録>
白山:2013.7.21.白山 14.7.21.平瀬、白山 15.8.19.健康祈願・白山 16.7.24。白山
日野山・文殊山:2016.3.13.日野山 文殊山
吉野ヶ岳:2017年登頂予定
越知山:2016.12.18

<日本百霊峰巡礼>
2004年1月より月刊誌「岳人」で毎月1座連載されました。立松和平さんは、25座毎に出版されていた「日本百霊峰巡礼」73座登頂後、第三集発刊 2010年2月に他界されて残り27座を残して終了となった
新潟県:米山・八海山・妙高山・雨飾山(長野県)
富山県:劔岳・立山
石川県:白山(岐阜県・福井県)
福井県:越知山・能郷白山(岐阜県)
岐阜県:位山・高賀山・笠ヶ岳・御嶽山(長野県)
長野県:槍ヶ岳(岐阜県)・穂高岳・戸隠山・蓼科山・木曽駒ヶ岳・浅間山(群馬県)・四阿山(群馬県)
山梨県:富士山(静岡県)・甲斐駒ヶ岳・身延七面山
静岡県:秋葉山
愛知県:本宮山・鳳来寺山

毎年5月末日日曜日「越知山泰澄ウォーク」を実施してます・・・・・越知山泰澄塾の事務局へ

                 

                2合目古道(一の峠越え)と林道分岐             林道合流点にある石仏

<泰澄大師>
泰澄は、奈良時代の密教僧であり、彼の足跡は福井県・石川・富山・新潟・岐阜・滋賀など二十数府県のみられ、各地で仏教を広め、社寺を建て、仏像を造り民衆の教化につとめた。そして越前五山(越知山・日野山・文殊山・吉野ヶ岳・白山)をはじめ山を開き、川を治め、道を造り、民衆のために献身的に働かれた人
天武天皇11(682)年6月11日父三神安角(みかみやすずみ)の二男として越前国麻生津(現在の福井市三十八社町)で生まれた。
十一歳の時、道昭(法相宗)の目にとまり、神童といわれ十四歳の時越知山に登り修行した。
文武天皇は、大宝2年(702)鎮護国家法師に任ぜられた泰澄21歳の時である
養老6(722)年、元正天皇のご病気が泰澄の祈祷により平癒なされ、それ功により神融禅師の号を賜った
聖武天皇天平9(737)年泰澄56歳の時、全国に疱瘡が流行した泰澄は十一面観音の法を修めて収束させた功により大和尚位を賜って「泰澄」の号を授かった
神護景雲元(767)年3月18日泰澄86歳 大谷寺釈迦堂の仙窟で結跏趺坐定印(けっかふざじょういん)の姿のまま遷化された。


                   

<独鈷水・どっこすい>5合目と6合目間地蔵広場から50m(越知神社まで50分)
泰澄大師が修行中、護身用に持っていた「独鈷」で岩を突くと神通力で湧き出たと伝えられている。
水温は年中変わらず(約9度)千三百年にも渡って湧き出ている。湧水の横には、不動明王石像が祀られている越知山山岳信仰史跡の一部になっている。


               

                      越知神社御本社                     殿池別名雨乞いの池

<越知神社御本社>
江戸時代には、福井藩祖結城秀康公が祈願所としていた。
明治の神仏分離令により宮谷神社(二ッ屋)の祭神・天照皇大神・八意思兼神・少名彦名神を合祀した神社
祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神・大山祇神・火産霊神
例祭日 毎年7月18日

<殿池の由来>
織田信長公の乗馬が、この池に落ちた事からこの名がついたと言われています
別名「雨乞いの池」とも言われ、旱魃のときには、織田信長公の鞍を引き上げ池の畔のボタン桜の大枝にかけて祈祷すると必ず雨が降ったそうです。また池の畔の井戸水は如何なる渇水の年にも絶えたことがないと言われる


                               

                  奥ノ院・三等三角点612.8mの越知山           臥行者旧跡

<泰澄の弟子「小沙弥」の行場であった臥行者旧跡>
臥行者は当時越前の国であった石川県の能登島から泰澄を慕って来訪した人 臥せながら社会の悪や、よごれた罪の上に臥ってこれをなくするために仏の心に入るように日々精進する心の行者であった。後に弟子となる神部浄定が船で運んでいた米俵を、日本海から越知山へ飛ばしたという身を鍛え難行に耐える身の行を修めたもの。「飛鉢法」や白山と奈良を1日で往復したという韋駄天の神通力の話がある。
泰澄とその弟子たちがいかに難行苦行の限りをつくし、人間離れしたことまで出来るようになったという
「米俵が飛んでいく話」・・・・新潟県米山にある・・・・2014山歩き米山・刈羽黒姫山


                           

            廃仏毀釈で破壊された首無し地蔵群              千体地蔵尊

<越前笏谷石(しゃくだにいし)と石仏>
笏谷石は、約1600万年前の火山活動で降りつもった灰が固まってできた火山礫凝灰岩 福井市の足羽山一帯で採掘され、北西側山麓部の笏谷地区の石質が優れていたことから笏谷石という。また水に濡らすと深い青色に変化することから別名「青石」とも呼ばれる戦国時代に越前国を支配した朝倉氏の一乗谷朝倉氏遺跡から笏谷石の石仏や石塔などが数多く出土している安土・桃山から江戸時にかけて城の土台や石垣に用いられた
丸岡城の石瓦 約6000枚の瓦はすべて笏谷石 1枚20〜60kg屋根全体が120トンにもなります。
一乗谷城から越知山を見ると真西に当たるため、越知山に先祖や弥陀浄土を重ね西方浄土を見ていた。供養の為・奉納の為に、越知山の室堂・日宮神社(護摩堂)・大師堂・神宝庫・越知神本社に笏谷石の仏像・狛犬・石灯籠がある
石仏の80%は地蔵菩薩が占め、15%は聖観音・阿弥陀如来・薬師如来・文殊菩薩・不動明王・千手観音・如意輪観音である
千体地蔵尊の奉納発起人は、福井の豪商、駒屋善右衛門 江戸、大阪、京都、滋賀、小松、金沢から500人の寄進者の氏名と年号が笏谷石や別畑石(南北朝から室町期を代表する円山宝塔)などに刻み奉納されています


                         


                   

      日野山、冠山、文殊山、足羽山、国見岳、金比羅山、城山展望        奥ノ院から殿池経由30分展望台

平成29年挑戦!<丹生山地の最高峰六所山698.3mは泰澄が修行した元別山>
平成26年6月8日泰澄の道20.5km完成 150年ぶりに再建された六所山聖観音堂
越知神社・別山分岐ー展望台ー花立峠580mー雀ヶ峠610mー小六所山642mー六所山698.3m
スミレサイシンやオオイワカガミ&トキワイカリソウの咲く4月〜5月
アキギリや紅葉(イタヤカエデの巨木やウリカエデ・コハウチカエデ・テツカエデ・ハウチワカエデ)いい〜ですね・・・!
頂上からの展望が「まことに展望よし」と大評判・・・これを聞くと登りたいね・・・泰澄の道・六所山2017・11・5


                   


<泰澄の道:大谷寺(おおたんじ)ー元越知山(堂山)の行程:往復1時間余り>
奥糸生多目的集会施設(旧小川分校)駐車場から大谷寺まで4.7km(10分)
大谷寺駐車場標高99mー越知山大谷寺(大長院)−九重塔ー元越知山別山分岐ー別山ー元越知山本地堂ー奥ノ院石灯籠口ー元越知山奥ノ院標高222m


                       

         左・金堂ー中央・元越知山本地堂(堂山)ー右・不動堂      元越知山奥ノ院は白山遥拝所である

<越知山大谷寺(大長院)>
泰澄大師のご開創、1334年の歴史を誇る北陸屈指の古刹である
奈良佛教の盛期に、我国古来の神を尊崇し佛の信仰を併せて行う、本地垂迹(ほんじすいじゃく)神佛習合の説を流布して山野を跋渉し道を開拓して 民衆の教化に専念された 越の大徳(だいどこ)泰澄大師が本拠の地として苦修練行された処で、ここに越知山三所大権現の御本地佛、地主大聖不動明王を自ら彫んで安置された時に持統天皇6年(692)と伝えられ、故に北陸佛法の最初の霊場と称される。
後、越前五山(越知山・日野山・文殊山・吉野ヶ岳・白山)を登峰され、諸国を巡錫された 758年77歳の時ご帰山、
神護景雲元年(767)3月18日御年86歳にしてこの寺でご遷化(せんげ)なされた
御廟所(ごびょうしょ)を中心に山上の元越知山本地堂と山ろくの大谷寺は豪壮な伽藍を備え、一大宗教圏を構成されていた。
<大谷寺の仏像>
◎三所権現本地仏・木造(十一面観音坐像・阿弥陀如来坐像・聖音坐像)・・平安時代十二世紀
◎聖観音立像・木造・・・平安時代十二世紀
◎不動明王立像・木造・・平安時代十二世紀(昭和25年国の重要文化財)
◎泰澄大師及び二行者坐像・木造・・・室町時代 重要文化財
◎不動明王立像(鉈彫)・・・平安時代
◎阿弥陀如来坐像・銅造・・・鎌倉時代
◎観世音坐像・銅造・・・鎌倉時代

<大谷寺住職西山良忍さんのお話>
「越知山大谷寺」の「越」は、「ベと」と言う ベトナムを漢字で書くと「越南」 「こし」ではなく変若ち=「おち」・「えち」
草・木の実・五穀・土など大地天地自然の総称 
大谷寺(おおたんじ)の谷「たん」は丹の意また水銀(みすがね)採取に関係がある
天武天皇673〜686頃は、越前、越中、越後の国 加賀や能登は、越前の中に含まれていた:平安時代前期に分国
興味深いお話ありがとうございました。 11月3日万灯会&三所大権現秘仏御開扇(16時)・点灯16時半 合掌


                       

         泰澄大師御廟所・九重塔(国指定 重要文化財)      仏性寺の石造多宝塔(大谷寺から車5分)

大谷寺大長院の脇から大師堂を経て九重塔 1323(元享3)年に建立された(石工・平末光作)高さ440センチ 凝灰岩笏谷石(しゃくだにいし) 層塔式の塔身を造り出した蓋石(がいせき)を積む厚い軒鼻に錘線(すいせん)を彫り出している鎌倉時代の特色、複弁の逆蓮の刻み、阿弥陀三尊の種字が蓮弁に囲まれ月輪と蓮座がある昭和32年国指定の重要文化財

朝倉義景の祈願所・仏性寺の石造多宝塔:石造りとして福井県唯一といわれ1557(弘治3)年銘がある
塔身の軸部の正面には、南無妙法蓮華経 基壇には、右は多宝如来 左は釈迦如来 室町時代の特色 高さ2.88m 石材は凝灰岩 笏谷石

                          

<参考資料>越知山泰澄の道(越知山泰澄塾発刊)・泰澄の道NO.4(越知山泰澄塾発刊)・登ってみねの福井の山VOL7(福井山歩会発刊)
福井県の山(山と渓谷社)・登山道掲示板・大谷寺・越知山大谷寺の配布資料
大谷寺 0778−34−5045 
越前糸生温泉泰澄の杜 0778−34−2322 8:00〜22:00
道の駅パークイン丹生ヶ丘 0778−34−2850