笑顔と感動に出会う旅

小谷山・虎御前山




2017年12月3日琵琶湖北 小谷山294.5mと虎御前山224m


滋賀県長浜市にある小谷山(大嶽:おおずく)は、北近江の戦国大名浅井氏が三代にわたって居城としていた山城である。虎御前山は、小谷城からわずか500m余りの距離に位置する標高約230mの山。
織田信長が、浅井氏の居城である小谷城を攻略する前線基地を築いた激動の歴史を物語る城跡。
浅井長政と織田信長の妹・お市その間に生まれた浅井三姉妹(茶々・初・江)ゆかりの城 その後の日本の歴史に大きな影響を与えた山城散歩道を歩きました。


          

小谷城跡から見た虎御前山・琵琶湖・武奈ヶ岳などの湖西の山々と北陸自動車道

南東から北西にかけて北国道・東に小谷道・北に山本山にむかう尾上道(おのえみち)南には田川・西には高時川


<行程>北陸道小谷城SIC(スマートインターチェンジ)−R365郡上南
小谷・江のふるさと館&戦国ガイドステーション三代の里P−R365郡上南・小谷城SIC方面へー河毛登山口ー柴田陣地跡ー秀吉陣地跡ー信長陣地跡224mー堀陣地跡ー滝川陣地跡203m・パラボラアンテナー中野登山口ー湖北町別所・留目集落ー小谷・江のふるさと館P−小谷寺ー大手道登山口ー出丸跡ー望笙峠ー追手道分岐ー番所跡ー虎御前山展望所ー御茶屋跡ー御馬屋跡ー首据石ー赤尾屋敷跡ー桜馬場跡ー黒金御門跡ー大広間跡ー本丸跡ー御局屋敷跡ー大堀切跡ー中丸虎口ー中丸跡ー京極丸跡ー大石跡ー山王丸跡398mー六坊跡ー清水谷・月所丸跡分岐ー大嶽城跡(小谷山三角点495m)ー福寿丸跡・山崎丸跡分岐ー福寿丸跡ー山崎丸跡ー清水神社ー歴史資料館口ー小谷・江のふるさと館Pー車移動で歴史資料館見学

<参考>
小谷・江のふるさと館P6:50−河毛登山口7:10−中野登山口8:10−小谷・江のふるさと館P9:20〜9:30−山王丸跡11:40ー小谷山12:05〜12:10−小谷・江のふるさと館P13:20

<虎御前山>
長浜市中野町・湖北町河毛と別所にまたがる標高約230mの山。古くは、長尾山と呼ばれていました 尾根は南北に長く四方の見通しがきく独立丘陵で、小谷城から500mあまりの距離に位置する。山城には、浅井氏の旗頭の一人赤尾清綱の砦があり、姉川合戦直前、小谷城包囲のため織田信長は、7月27日〜8月9日にかけて虎御前山に小谷城攻めの砦を構えた 山の尾根上には、古墳(北山古墳:古墳時代後期)が85基の古墳が点在しており 織田信長は、これらの古墳をうまく利用して大規模な砦を築いた。

河毛登山口から中野登山口(南)方向に伝柴田勝家、伝佐久間信盛、伝木下秀吉、伝織田信長、伝堀秀政、伝滝川一益、伝丹羽長秀、伝蜂屋頼隆、最南端の八相山に伝多賀貞能の陣地跡が残る
また室町時代の初め、将軍足利尊氏と弟の足利直義が虎御前山の最南端八相山で戦った八相山の合戦がある

虎御前山あるいは虎姫山と呼ばれようになった由来は、昔、井筒という泉のほとりに住んでいた娘が、旅の途中に知り合った。世々間(せせらぎ)という名の若者と愛し合うようになり結婚しました。ところが、顔は人間だが体は蛇という子を一度に15人も産んでしまい、嘆き悲しんだ末に、淵に身を投げて死んでしまったといいます。娘の名は、虎姫といい この山の由来と伝えられている。
虎御前山ハイキングコース:のんびり1時間信長陣地跡往復コース 虎御前山横断2時間コース 周回3時間コース


             

虎御前山から見た小谷城・清水谷・小谷山(大嶽)・福寿丸跡・山崎丸跡


<浅井三代と小谷城>
鎌倉時代以来、北近江での主導権を握っていたのは、近江国守護六角氏と同族の京極氏であった。
京極氏は北近江三郡(現在の長浜市と米原市)の守護として、当地を治めていたが主君京極高清の後継者をめぐる争いを利用して京極氏の重臣であった浅井亮政(すけまさ)が、北近江の覇権を握りました。久政の代には、六角氏に圧倒されて隠居し、永禄3(1560)年野良田の戦いで、浅井長政が六角氏を打ち破り北近江の1国領主となった。
永禄4(1561)年織田信長の妹市と結婚して、同盟関係になります。

小谷城は本丸と各曲輪(堀や土塁(土を盛って壁としたもの)で区切られ、平らに整地された区画)を直線的に並べた縄張りの山城で、小谷山の山頂に築かれた大嶽(おおづく)砦と清水谷に構えられた浅井一族や家来団の屋敷。さらに大嶽の南西方向に伸びる尾根には、福寿丸・山崎丸 東側尾根に月所丸と呼ばれる出城を構えた山城である。

元亀(げんき)元(1570)年4月織田信長が越前の朝倉氏を攻めたことで、長政は、朝倉氏をはじめとする反信長勢力となる。 元亀元(1570)年6月28日小谷城からおよそ7km南の姉川で、浅井・朝倉連合と織田・徳川連合と戦い
織田・徳川軍の勝利となったその後浅井・朝倉氏は小谷城に籠城 天正元(1573)年8月小谷城総攻撃が仕掛けられ、9月1日赤尾屋敷内で、浅井長政29歳で、自刃して浅井氏は滅亡。4年間にわたる義理の兄・織田信長の戦いが終わった。
北近江三郡は秀吉に与えられたが、秀吉は長浜城を築城したので、虎御前山城と小谷城は廃城となった。

小谷山登山:大手道登山口〜小谷山〜清水神社周回コース3時間 大手道登山口〜小谷山〜清水谷コース3時間20分 また小谷城戦国歴史資料館Pから追手道登山口コースもあります 車で番所跡P〜小谷山登山できます。
小谷城バス発着所から番所跡までバス利用できますが季節運行(4月下旬〜11月下旬の土日祝)になります(小谷城バスで検索&北びわこふるさと観光公社へ御確認して下さい)

<清水谷>
清水谷は、小谷城の大手と考えられ、谷中央の道「清水道」があり、両側には、武家屋敷があったと考えられる。大野木屋敷跡・三田村屋敷跡・木村屋敷跡・長政・お市の方の御屋敷跡・山城屋敷跡・遠藤屋敷跡・磯野屋敷跡や浅井氏の菩提寺の徳昌寺跡・観音寺跡などがある。

<参考>
出丸:尾根の最先端に位置する独立した砦
番所:小谷城の主郭部への入口
赤尾屋敷跡:赤尾清綱の屋敷 天正元年(1573)9月1日信長の兵に攻められて浅井長政が自刃した場所
桜馬場:大広間黒金門の南にある曲輪 虎御前山を見張る最適の地
大広間跡:別名「千畳敷」と呼ばれ、長さ約85m・幅約35m・約4mの石垣
本丸:古絵図では、鐘丸とも天守とも記される
大堀切:本丸跡の北にある 尾根を大きく削った堀切跡
京極丸:守護京極氏の居所 天正元年(1573)8月27日秀吉によって攻め落とされ、本丸と小丸の間が分断された
小丸:浅井久政が居所とした
山王丸:標高400mにある小谷城の詰め丸 今も東斜面に大石垣が残っている。
六坊:浅井久政の時代領国内にあった6つの有力寺院の出張所
福寿丸:朝倉軍の城郭で、木村福寿庵が守ったことから
山崎丸:尾崎山の中腹にある曲輪 朝倉義景軍の山崎吉家が守ったことから

                               

 山王丸の大石垣                冬支度のお地蔵さん


             

小谷寺                         小谷城戦国歴史資料館


<小谷寺>真言宗豊山派
泰澄によって神亀5(728)年に常勝寺として創建された。本尊:如意輪観世音菩薩
浅井亮政の祈願所として「小谷寺」と改めた。その後浅井家3代の祈願所となった。小谷城落城の際に類焼したが、豊臣秀吉や徳川家康より寺領を授かり再興した。国指定重要文化財の孔雀紋馨(くじゃくもんけい)


<小谷城戦国歴史資料館>長浜市小谷郡上町139番地
開館時間午前9:30〜17:00  入館料300円

金沢ハイキングクラブ26名は、清水神社から虎御前山河毛登山口方向へ行かれましたね!

 

黒金御門跡・本丸跡・小丸跡・大嶽城跡〜山崎丸跡紅葉道は各駅停車歩きで、大満足




心に響くフォトムービー


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<滋賀県の山:登頂記録>

*2013年11月17日 赤坂山・三国山   ・・・・・・・・・・赤坂山・三国山
*2014年 6月29日 伊吹山        ・・・・・・・・・・伊吹山     
*2015年 5月10日 マキノ高原・赤坂山・大谷山・・・・赤坂山・寒風・大谷山
*2015年 7月25日 伊吹山・居醒(いさめ)の清水・・・伊吹山・居醒の清水
*2015年12月13日 賤ヶ岳・山本山周回  ・・・・・・・・余呉湖・賤ヶ岳・山本山
*2016年 5月 1日 大谷山・大御影山   ・・・・・・・・大谷山 大御影山
*2017年11月26日 己高山周回・石道寺・鶏足寺・・・・仏教遺跡と己高山


                                   

<参考文献:滋賀県の山(山と渓谷社)・小谷城戦国歴史資料館・奥びわ湖観光協会資料・北ぼわこふるさと観光公社資料・白山眺望登山(金沢ナカオ山岳編)・小谷城跡をめぐる城々(滋賀県教育委員会)・虎御前山古墳と中世城郭保全券顕彰会案内板より