笑顔と感動に出会う旅

奥飛騨砂防堰堤




2018年10月27日 奥飛騨の土砂災害と砂防堰堤


平成30年度 立山カルデラ友の会・交流視察会 「跡津川断層による川の湾曲・神岡城・奥飛騨地区の土砂災害と砂防堰堤」に会員41名参加しました。


                         


地獄平砂防堰堤

蒲田川の流域にある滑らかな曲線形状の砂防堰堤

<行程>
JR富山駅・北口8:00ー道の駅:細入ー神岡城ー奥飛騨・星の鐘ー北アルプス大橋ーひがくの湯(昼食)−奥飛騨さぼう塾ー地獄平砂防堰堤ー洞谷砂防堰堤ーしのぶ砂防堰堤ー栃尾温泉、フルージック(温泉熱利用ハウスの農業)−道の駅:宙(スカイ)ドームーJR富山駅・北口17:15


               
                

北アルプス大橋の紅葉




                                           




しのぶ砂防堰堤

平湯川に現地の巨石を活用し渓谷流の再現し、砂防堰堤の中に入ることもできる






                         

洞谷砂防堰堤

1976(昭和54)年8月22日(日曜日)午前7時50分ごろ標高1950m地点から崩壊し土石流が発生した地点



                                                   

外ヶ谷大崩落跡地

明治22年7月24日と昭和28年7月の二度の大崩壊跡と砂防堰堤群よって緑豊かな渓谷を作り上げた




                        
                        

神岡城

飛騨・越中攻撃の拠点となった神岡城・旧松葉家・鉱山資料館を楽しみました。


<神岡城(東町城跡)>
神岡町東町に存在し、野尻城・沖野城・江馬之御館などと呼ばれ出城として使われていました。飛騨市内で唯一の平山城です 神岡の市街地である船津を見ろす段丘の縁に位置し越中東街道と上宝道が合流する交通の要衝です
甲斐の武田勢が飛騨に侵攻した際に江馬氏に命じて築かせ、その後金森長近が飛騨一帯を支配するようになり、山田小十郎が城代として居城するようになった。
徳川幕府が一国一城として新制度を発令した、1615(元和元年)には、神岡城は閉城・破却となりました。

*江馬氏は中世に北飛騨の高原郷(現在の飛騨市神岡町、高山市上宝町周辺)を拠点に勢力を誇っていた地方領主