笑顔と感動に出会う旅

七尾城址・宝達山・末森山





2018年12月16日 七尾城址(日本百名城)・松尾山&宝達山637.1m・末森山



石川県七尾市:国指定遺跡 七尾城址(日本百名城)・城山展望台(松尾山379.5m三等三角点:点名小松原)宝達志水町にある能登半島の最高峰・宝達山637.1m(一等三角点)。宝に達する山と書き、
十五世紀、金の採掘が始まり、加賀藩の重要な財源となっていた。竹生(たこ)野地域にある末森山は、能登の支配を争って前田利家と佐々成政が戦った「末森の合戦」の場所。今回は、二つの山城歩きと標高350m付近から雪道歩きと冬の寒さを体感した宝達山歩きでした。


             

七尾城址・本丸からの七尾市街地と能登島


<行程>石川県七尾市・羽咋郡宝達志水町
城山運動公園ー古屋敷町登山口ー大手道(旧道)ー長坂ー七曲りー時鐘跡ー門跡ー沓掛ー北本丸駐車場ー城山展望台(松尾山379.5m)−北本丸駐車場ー七尾城跡散策コースー大手道(旧道)ー城山運動公園ー車移動(35.7km・49分)ー宝達志水町東間(あずま)手速比刀iてはやひめ)神社下社登山口ー宝達山ー手速比刀iてはやひめ)神社下社ー車移動(6.3km・8分)−竹生(たこ)野末森城跡駐車場ー末森山ー末森城跡駐車場

<参考>
七尾運動公園6時11分ー北本丸駐車場6時57分ー展望台7時35分〜7時50分ー北本丸駐車場8時15分ー大手道登山口9時11分ー七尾運動公園9時18分〜9時25分ー宝達志水町東間登山口駐車場10時17分
手速比刀iてはやひめ)神社下社登山口10時25分ー鉄塔11時ー林道合流点11時40分ー宝達山11時58分ー山の竜宮城交差点12時14分ーこぶしの路分岐12時18分〜23分ー鉄塔12時49分ー手速比刀iてはやひめ)神社下社駐車場13時25分ー宝達志水町竹生(たこ)野・末森城跡駐車13時51分〜55分ー末森山14時14分ー末森城跡駐車14時30分
七尾城跡散策者3名・宝達山登頂者11名・末森城跡散策者6名

<国指定史跡 七尾城跡(日本百名城)>
室町時代能登国の守護であった畠山氏が居城とした所です。
石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300m山頂部を削り平して本丸を置き、これを中心として急峻複雑な地形を利用し、東方に長屋敷、西・北方にかけて西の丸、ニの丸、三の丸等を構えた山城である
昭和9年(1934)12月28日国の指定史跡に指定


◎七尾城跡・城山展望台(松尾山379.5m)
城山運動公園ー75分ー北本丸駐車場ー40分ー城山展望台ー30分ー北本丸駐車場ー城跡散策30分ー50分ー城山運動公園


                     
                    

桜馬場石垣と本丸石垣から見る松尾山にある城山展望台


  

本丸に向かう石段と本丸2段石垣

<七尾城のお話>
応永15年(1408)畠山満慶(よしみつ)、兄(満家(みついえ)から能登国をもらて能登畠山家を創設した
文明10年(1478)三代義統(よしむね)京都から能登に下向する
天文19年(1550)畠山七人衆(長続連・温伊井総貞・遊佐続光など)が支配の実権を握る
天正 4年(1576)越後の上杉謙信が能登へ侵攻し七尾城を囲む
天正 5年(1577)畠山重臣・遊佐続光(ゆさつぐみつ)が上杉勢を城中へ引き入れ、七尾城落城した
満慶以後十一代義隆(よしたか)まで169年間にわたり能登国を治めた能登畠山氏が滅亡する
天正 5年(1577)上杉方の鯵坂長実(あじさかながさね)が七尾城代として入城
天正 9年(1581)3月前田利家、織田信長より能登一国を与えられる七尾城に入城する
天正10年(1582)前田利家が所口の小丸山に新たな城を築く


<七尾の由来>
城山に七つの尾根があり、その尾根筋に有力武将がそれぞれに屋敷を構えた。「松ノ尾」「竹ノ尾」「菊ノ尾」「亀ノ尾」「鶴ノ尾」虎ノ尾」「梅ノ尾」や他に「烏帽子ノ尾」「袴ノ尾」「牛ノ尾」になっている場合もある。尾根全体を城山一帯と考えられていた。


              

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号  平24情使 第162号)


                             

能登半島最高峰 宝達山637.11m(一等三角点)からの眺望



<宝達山と金山>

石川県に宝達丘陵の最高峰(能登半島の最高峰)が宝達山、奥能登丘陵の最高峰が宝立(ほうりゅう)山ある

宝達丘陵は、倶利伽羅利伽羅峠あたりを起点に北に御来光山、三国山、稲葉山、宝達山、臼ヶ峰、碁石ヶ峰、桝形山、石動山、七尾城山、と連なり崎山半島(七尾市北東)の伊掛山を最後にして富山湾へ

宝達山の地質は、新第三紀系の堆積岩と飛騨変成岩類。 天正12年(1584)金鉱発見され、採掘が行われた。天正16(1588)高山右近(キリシタン大名)が加賀藩に客将として遣えてからヨーロッパの技術を用いて「坑道掘り」に変えて金の採掘が本格的に始まり江戸時代前期まで続き、加賀藩の重要な財源となりました。



石川県羽咋郡宝達志水町東間
◎宝達山東間(あずま)登山口ー「こぶしの路:片道約4.5km」ー宝達山637.11m
手速比刀iてはやひめ)神社下社ー60分ー鉄塔ー60分ー林道合流ー20分ー宝達山(一等三角点:点名宝達山)ー20分ー山の竜宮城交差点ー50分ー鉄塔ー55分ー手速比刀iてはやひめ)神社下社

*今回予定していた夫婦池散策路(雄池&雌池)は、寒さと雪道登山道の為中止次回へ


                                               

こぶしの路の小さな鳥居をくぐるとスカイツリーと同じ高さ(634m)の標柱・上社鳥居に出る


                                               

山頂にある手速比刀iてはやひめ)神社上社



                             

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平24情使 第162号)


                                                     

                         



宝達志水町竹生(たこ)野
◎末森山138.8m:四等三角点 点名末森山
末森城跡駐車場ー30分ー末森山ー20分ー末森城跡駐車場


<末森城と加賀百万石>
能登の支配を争って、天正12年(1584)9月10日末森城主奥村永福と佐々成政が戦いを開始した。 それを聞いた前田利家が海岸線に沿って北上し、佐々軍の背後から攻撃 佐々軍は総崩れとなり撤退した。天正13年(1585)豊臣秀吉が越中に攻め入り、成政 秀吉軍に降伏 その後利家が越中を手に入れ加賀、能登、越中の大名として「加賀百万石」の地位を得た「末森合戦」の舞台となった所 平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ」「加賀百万石物語」後、多くの人が訪れる


<宝達丘陵にある峰登頂記録と山城歩き>


2018年 5月20日 宝達丘陵 碁石ヶ峰・久江原山・大平山・桝形山(荒山城跡)・・・・・・碁石ヶ峰・桝形山

2018年12月 2日 岐阜県神岡町 傘松城跡(観音山)・・・・・・・・安峰山・観音山(傘松城跡)
2017年 1月 8日 富山 千石城跡・(千石城山)・・・・・・・・千石城山
2017年11月12日 富山 鴨城跡・元取山・・・・・・・・元取山
2017年12月 3日 滋賀県 小谷山・虎御前山・・・・・・小谷山・虎御前山
2016年 7月17日 福井県 杣山城跡(杣山)・・・・・・杣山・はすまつり
2016年 4月10日 新潟県 天神山城跡・角田山・・・・・・・角田山&天神山城址
2016年 4月 3日 福井県 燧ケ城跡・藤倉山・鍋倉山・・・・・花筐公園・藤倉山
2015年12月13日 滋賀県 賤ヶ岳・山本山・余呉湖・・・・・余呉湖・賤ヶ岳・山本山
2015年 7月20日 新潟県 春日山城跡・高田公園・・・・・・・・上越・高田公園&春日山城跡
2015年 6月21日 富山・石川 松根城跡・松根山・小原越・・・・・・松根山・小原越&松根城跡
2015年 4月19日 福井県 戌山城跡・飯降山・・・・・・・飯降山
2014年11月23日 福井県 戌山城跡・飯降山・・・・・・飯降山
2012年 7月 8日 富山県 増山城跡・亀山城跡

                                   

この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平24情使 第162号)

参考文献:宝達志水 歴史ガイド(宝達志水町企画振興課発行)・続北陸の名山(石川県勤労者山岳連盟)・石川県の山(山と渓谷社)
       いしかわの自然を楽しむ(楓工房)・史跡七尾城跡(七尾市教育委員会スポ^ツ・文化課)・案内掲示板など