笑顔と感動に出会う旅

一乗谷朝倉氏遺跡





2020年10月24日 立山カルデラ砂防博物館友の会・県外交流視察会




令和2年度度友の会・交流視察会は、NHK大河ドラマ 「麒麟がくる」の主人公明智光秀ゆかりの地 福井市の南東約10km一乗谷にある朝倉氏遺跡とゆかりの寺称念寺を新型コロナウイルス感染症予防対策しながら、会員20名とカルデラ砂防博物館・館長・副館長・友の会担当者同行しました。


行程


JR富山駅ー北陸自動車道富山西ICー丸岡ICー称念寺:本堂で、講話ー昼食:竹田の油あげ谷口屋分店ー一乗谷朝倉氏遺跡資料館

一乗谷朝倉氏遺跡(史跡保存協会の方が案内)−福井ICー北陸自動車道ー富山西ICーJR富山駅・北口

称念寺


称念寺は泰澄大師が如意宝珠を埋め念仏堂を建てたことから始まり白山系山岳修験の道場として栄えました。
南北朝の戦いに活躍した新田義貞公は、1338(暦応元)年7月2日福井市灯明寺畷(なわて)の戦いで、戦死した その遺骸を時宗の僧によって称念寺に運ばれ葬られた。その後室町幕府の将軍家、天皇家の祈願所、徳川家、福井藩主から保護を受けた。また明智光秀は、美濃の国から妻の煕子(ひろこ)や家族と伴に称念寺に逃れ、この門前で、寺小屋を開いた。


一乗谷朝倉氏遺跡


朝倉氏は、兵庫県養父郡の武士でした。初代孝景、2代氏景、3代貞景、4代孝景(初代と同名)5代義景まで、103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡です。
1573(天正元)年浅井氏の居城、小谷城からの退却途中、刀根坂(とねさか)の戦いで敗北した。信長は、8月18日から20日まで、3日3晩にわたって、一乗谷の町に火を放ち、焼土と化したのです。20日朝倉氏は、自尽し 戦国大名朝倉氏はついに滅亡した。
この一乗谷朝倉氏遺跡全体が「特別史跡」、遺跡内の4つの庭園が特別名勝、出土品(陶磁器、将棋の駒、木製品など)が重要文化財、国の三重指定を受けているまた令和元年5月20日「400年の歴史の扇を開ける旅〜石から読み解く中世、近世のまちづくり越前、福井〜」を構成する文化財として日本遺産に認定された。




                 






朝倉館跡は、第五代義景の邸宅・西側の唐門は、豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために寄進した。門の表には、朝倉家の三つ盛り木瓜(もっこう)の紋、裏の門には、豊臣家の五三の桐の紋が刻まれています。

    

武家屋敷


 

道は、防衛のための短折、行止り、T字路など計画的な城下町


     

称念寺:新田義貞公菩提所・明智光秀公・妻煕子が10年間居住地

坂井市丸岡町長崎19−17


                                 

阿弥陀三尊来迎仏(木造で鎌倉時代末期ものと推定)



   

新田義貞公の木像と鎧



                                               

竹田のあげ谷口屋分店



参考文献:改訂称念寺のあゆみ、明智光秀ゆかりの称念寺観光おもてなし実行委員会の資料、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の資料より