笑顔と感動に出会う旅

秋と安曇野


2014年11月2日〜3日 りんごと源泉掛け流しの湯を求めて!
安曇野ちひろ美術館 「いわさきちひろの没後40年企画展」
糸魚川ICー高浪ノ池ー道の駅小谷・深山の湯ー白馬・ペンション泊ーちひろ美術館ーVif穂高ー松尾寺・鐘の鳴る
丘集会場・穂高郷土資料館ー道の駅・深山の湯「日帰り入浴」ー糸魚川IC


<源泉掛け流し湯 深山の湯 道の駅 小谷 >
 源泉は、来馬地区、来馬温泉から引き湯
やや褐色の湯 ナトリウム 炭酸水素塩、塩化物温泉(中性低張性)温泉 あつ湯・寝湯・ぬる湯・露天風呂・水風
呂・サウナ 「お得なサービス:お食事(鬼の厨 ¥500以上で、温泉入浴料金半額)

   明星山標高1188.3m 登頂記録 2002年 9月22日
  鶴王山・松尾寺(高野山真言宗)と鐘の鳴る丘集会所・穂高郷土資料館>
 松尾寺は、鎌倉時代〜室町時代にかけて、北安曇野から南安曇野の一部を治めていた仁科氏によって1528
年建立されたと伝えられている。室町時代末期の特徴を残した全国的にも珍しい建物。本堂、桁行三間 梁間三
間 寄棟造りの堂として建てられた。1959年国の重要文化財に指定された。横隣りから、♪〜緑の丘の赤い屋根
 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メーメー子山羊も啼いています 風がそよそよ丘の家 黄
色いお窓は、おいられの家よ〜♪時計台のある建物 これが、NHK連続放送劇{鐘の鳴る丘」舞台となった建物。

この建物は、明治時代に建てられ 大正時代に有明温泉が旅館として買取り、昭和初め廃業
1946(昭和21)年建物を松本少年学院として開設
1947(昭和22)年松本少年学院をモデルとして放送劇開始 その後600回放送される
1949(昭和24)年法務省の所管となり「有明高原寮」として使用された。
1980(昭和55)年現在の位置に移転復元され、青少年の研修施設として活用している。
毎日午前10時、12時、15時の3回「鐘の鳴る丘の主題歌」が、鳴り響きます。
 「参考資料:安曇野市穂高郷土資料館より」

<糸魚川 高浪の池>
標高535m 南北300m 東西125m 湖岸線の延長800m 最大深さ13m 平均水深さ7.9m
赤禿山標高1158mの北東斜面の地滑りによって出来た すり鉢状のせき止め湖 付近には、小滝川ヒスイ峡、フィッシュングパーク、明星山登山口のあります。高浪の池には、「浪太郎」、「翠・(みどり)という巨大な魚が住むという話もある。
 <民話 平山の長者 >  糸魚川民話より
昔、むかし小滝に金持ちの長者が住んでおりました。村人から 「平山の長者さん」と呼ばれていた この長者は 大変へそ曲がりな人だった ある時の春 5月の節句に馬百頭出し、1日で広い田んぼの「しろかき」をしてしまった。
昔から節句に働く事を「節句だおし」、「だほ者の節句働き」と言って働いては、いけない日と決められておった。
殿さまに、「長者が節句に「しろかき」をしていた」と伝えると、殿さまは「平山の長者ともあろう者が、節句だおしをするとは けしからん」と怒って馬百頭を取り上げてしまった。
その翌年も、へそ曲がりの長者は 買い入れた馬百頭で広い田んぼの「しろかき」をしてしまった
その出来事を知った殿さまは、「けしからん すぐ長者の首をはねよ」と大きな声で、怒りながら伝えた。
長者の奥さまは、嘆き悲しんだ ある日のこと家にある大判、小判全部、屋敷の白いつばきの根元を掘って埋め、
家財道具は、7日間かかって西にある高浪の池へ運んでしまった。その夜に赤牛に乗って 念仏を唱えながら家財道具と一緒に、高浪の池に消えてしまった。
そこで、困ったのは村人衆だった 婚礼や葬式をする時 御膳やお椀を貸してくれる長者さんが、死んでしまったからだ。 村人は、高浪の池に向かって 「御膳やお椀がなくて困っています 何とか貸してもらえんだろうか 」と伝えると
池の中から、「貸してやろう・・・」と声がすると同時に御膳やお椀が、池の中から浮き上がってきた。
それからは、村人たちは 何かあるとあると高浪の池に行っては 御膳やお椀を借りに行った ところが、借りたお椀のふたを壊してしまった事を、告げずに返してしまった出来事からは、池の上に御膳やお椀が、浮かんでこなくなったという。 
高浪の池が波立ったり、濁ったりするときは、池の主になった奥さまが 怒っているのだと伝えられている・・・おわり