笑顔と感動に出会う旅

余呉湖・賤ヶ岳・山本山



2015年12月13日 琵琶湖国定公園 余呉湖・賤ヶ岳・山本山歩道

日本遊歩百選 近江湖(うみ)の辺(べ)の道


                             


<余呉湖 賤ヶ岳 山本山歩道>
余呉町下余呉から賤ヶ岳 (三等三角点421.13m)を分岐点として木之本町飯浦(はんのうら)と湖北町津里までの2コースに分かれ約12kmの自然探勝道です この地域一帯は、スギ、ヒノキ植林地とアカマツ林でミズナラやサイゴクミツバツツジなど日本海側など日本海側の山地でよく見られる植物が数多く育っています
賤ヶ岳の古戦場をはじめ古保利(こぼり)古墳群や山本山城跡など史跡探訪ができる歩道

<今回のルート> 沿面距離16.952m 6時間6分54秒(余呉駅から河毛駅まで)
余呉駅・無料P−700m−賤ヶ岳観音堂登山口(江土)−岩崎山砦跡ー大岩山砦跡ー中川清秀の墓ー首洗い池分岐ー猿ガ馬場ー賤ヶ岳標高421.13m−リフトー西山360.4m−磯野山城跡分岐ー古保利古墳群ー西野水道ー山本山城跡標高324.4m−800m−常楽寺・朝日山神社登山口ー3.8km−河毛駅ーJR北陸本線11分 ¥240−余呉駅 


                             


<賤ヶ岳&賤ヶ岳の戦い>
賤ヶ岳:三等三角点 標高421.13m 北緯35度30分10秒510 東経136度11分45秒534 
設置1890(明治23)年
南北に奥琵琶湖と竹生島 東に伊吹山 北に余呉湖を一望できる 賤ヶ岳は琵琶湖八景の一つとして知られている
1583年羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った「賤ヶ岳の戦い」の戦場跡、戦跡碑、戦没者の碑がある

賤ヶ岳の戦い:織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、信長の後継者問題から織田家の筆頭家老の柴田勝家と羽柴秀吉の対立から賤ヶ岳の戦いに発展した
1583(天正11)年4月20日未明
柴田勝家方佐久間盛政が高山右近が築城した岩崎山と中川清秀が築城した大岩山の2山奇襲し中川清秀は配下の兵数百名と共に討死、高山右近は、反撃せず速やかに羽柴秀長の本陣田上山に退却合流した
佐久間盛政は、「大岩山陥落後は直ちに陣地へ退く」という勝家の指示を守らずに賤ヶ岳へ進んでしまう
4月21日岐阜・大垣にいた秀吉はすぐに引き返し、7本槍の重臣を引き連れ盛政軍に総攻撃をかけた(世にいう「秀吉の大返し」秀吉が勝利を手にするまでわずか2日足らずで終わった賤ヶ岳合戦であった
1583(天正11)年4月23日柴田勝家は、妻のお市の方とともに自害して果てたのです
斬り込み1番・槍の武勇伝:賤ヶ岳の7本槍
加藤清正、福島正則、片桐且元、脇坂安治、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則
賤ヶ岳合戦場:木之本から柳ヶ瀬に至る南北10kmと余呉湖にわたる地域の線上 戦場は山頂ではなく中腹から麓付近


<余呉湖>
湖面が穏やかで鏡のようであることから「鏡湖」と呼ばれるまた「天女の羽衣伝説」などが残る神秘の湖
周囲約6.4km、面積約1.8平方キロメートル 水深13m三方を山で囲まれた断層盆地にあって琵琶湖との水面落差が49m近くある あじさい園では約1万株のあじさいが咲き誇る、冬には水鳥が飛来し、ワカサギ釣りも楽しめる
古くは、琵琶湖を大江(おえ)、余呉湖を伊香(いか)の小江と称し、余呉湖の北岸には、天女が羽衣を掛けてと伝えられるアカメヤナギの木が残っています(立木のように枝が垂れない楊)湖底からは2000年前の埋沿林が発見された
天女が産んだ子が、菅原道真、菊石姫という伝説もある

<参考:余呉湖ダム>
余呉湖に余呉川からの導水路、各種調整ゲート、放水路等を設置してダムの機能を付加し余呉川沿いの洪水被害の軽減と湖北地方一帯のかんがい用水の補給のために湖水利用できる自然湖であるまた琵琶湖水をポンプ利用して余呉湖に注水する農水省所管の揚水機施設を設けられています

                                 


<国指定史跡 古保利(こぼり)古墳群 平成15年8月27日指定>
琵琶湖の北端 塩津湾に面する細長い西野山丘陵上に約3kmにわたって分布する一大古墳群です
時期は古墳時代初頭(3世紀代)から終末期(7世紀代・飛鳥時代)である
前方後円墳、前方後方墳11基を含む円墳、方墳からなりその総数は約130基古墳時代に造られた基本的な形の古墳がすべてそろっています
余呉湖 賤ヶ岳 山本山歩道から見る事ができる古墳群
*西野山古墳(A−2号墳)最大規模全長90m前後の前方後円墳
*小松古墳 (Bー6号墳)3世紀代前方後方墳
*大浦古墳 (Cー16号墳)最大円墳
*寺ヶ浦古墳(北)・臼ヶ谷古墳(南)(Dー1・2号墳)
*北谷古墳(北)・黒見古墳(南)(Dー41・42号墳)
*岩屋古墳(E−5墳)
*熊野山古墳(E−9墳)
*屋ヶ谷古墳(北)・大谷古墳(南)(Eー14・15号墳)
*旭山古墳 (F−1号墳)


                                                 
                                                 


<近江高天原伝説のある山本山標高325m>
琵琶湖の東岸に沿って賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置 お椀を伏せたような形の山
山の別名は朝日山、田中山、白山と言いまたその優美な形が琵琶湖のどこから見てもすぐわかることから見当山ともいいます 山本山城は湖北には珍しく平安末期築城の古い歴史を持っています

<山本山城の歴史>
平安時代後期、清和源氏の嫡流 源頼義の三男・新羅三郎義光の流れを汲む源(山本)義定、義経が築城したと伝えられています 山本義経は源平争乱の時平家打倒の旗を上げましたが1180(治承4)年12月16日平知盛・資盛に攻められて落城しました
戦国時代、浅井氏の支城として阿閉氏の居城となり木下藤吉郎に攻められて織田方となり「山崎の合戦」時は、明智方となりその戦いに負けると城は落ちて廃城となりました
山上には本丸、二の丸、三の丸、馬の蹴り跡や土塁高さ2mを超える大きさを持つ本丸城遺跡
山頂からの展望:比良山系、竹生島、葛篭尾(つづらお)崎、奥琵琶湖パークウェー、尾上漁港、奥の洲、余呉川
<参考:宇賀神社の山本山登山口>
湖北町津里からの登山口(宇賀神社から)若宮山標高159.5m山本山の支峰前方後円墳があります
湖北地方にある前方後円墳のなかで最も古い古墳と言われています次回は、このルート登頂したいです

<旧北陸本線廃線跡を利用した県道207号 5分待ち交互通行>
昔・蒸気機関車が走っていたと思うと嬉しいですね わき見運転注意です
敦賀IC−敦賀バイパスーR8号新麻生口−県道207号ー刀根ー旧北陸線トンネルー雁ヶ谷ーR365北国街道ー余呉町


<参考資料>
滋賀・びわ湖観光情報・掲示板より