笑顔と感動に出会う旅

飯降山



2014年11月23日 越前大野 天空の城&伝説の山 飯降山(いいぶりやま)884.3m


                         

御嶽神社付近からの大野城天守閣、白山連峰、経ヶ岳、荒島岳展望
 大野城天守閣まで朝の散歩して、みくら清水登山口から史跡トレッキングコースを歩いて飯降山へ
 
<今回の登頂ルート>
 みくら清水登山口標高170m−戌山城址ー天空の城撮影場所ーほたるの里登山口・飯降山分岐ー
ー三角点329.3m−飯降集落登山口・飯降山分岐ー飯降山標高884.3m

 <みくら清水> 
 戌山に城があった頃、城の水源として利用され1日3回(三くら)水を汲みに降りてきたので、
 みくら清水をと呼ばれるようになったという。又「みくら」がなまって「めくら清水」とも呼ばれる(登山案内掲示板より)

 三角点からの展望有りませんまた国土地理院地図には、飯降山 (大岳)と明記してある
 三角点から5分の所に石の祠と展望広場が、あります

   <名前の由来になった2つの伝説>
 一つは、開山された泰澄大師にまつわるもの もう一つは、三人の修行尼僧にまつわるもの
 *泰澄大師が、養老年間(717〜724)に開山されたと言われる頃、村人たちがお山に参拝すると、
  鍋や薪がないのに 飯を食べている泰澄大師の姿に不思議がり 空からおにぎりが降っているんだと
  村人達が語り合っていたという伝説

 *むかし 三人の尼さんが姉妹のように仲良く修行をしていました 修行と精進を熱心に、続けていました
 ある日、不思議なことに空から大きなおにぎりが降ってきました それから毎日、毎日空からおにぎりが降ってきました 一人の尼さんが もっと、たくさんのおにぎりを食べたくなり、一人の尼さんを深い谷に突き落とした
翌日から2つのおにぎりしか空から降ってこなかった。おにぎりを独り占めしたくなり、もう一人の尼さんも深い谷に
突き落とした その後、空からおにぎりが降ってこなかった
一人の尼さんは、飢えて痩せた身体で杖を使いながらよろよろと山を下りた。
その出来事からは、この山を「飯が降る山」・「飯降山」と村人達が言うようになったという伝説


  <山の背くらべ 高くな〜れ お嶽さんのお話>
地元の人たちは、飯降山を「御嶽(おんたけ)さん」と言われ親しみ込めて呼んでいる
飯降山の神さまは自分の山が荒島岳より低いのを残念がって、「5月の端午の祭日に参拝する者は、一握りの土や
一片の石でも持ってくる者には、一つだけ願いを叶えてやろう」と言うお話があります
今も石の祠の周りには、たくさんの願い石が積み上げられ、年々高くなっているようです
 ( 参考:福井県 民話より)

参考:6月第1土曜日 夜間登山あります 詳しい内容は、大野市商工観光課へ

  「天空の城・越前大野城」 撮影場所 戌山城址から10分 雲の上に浮かぶ城を求めて
  早朝60名登頂していました。皆さんは、ほたるの里コース約20分で撮影場所

 <天空の城 越前大野城を見る条件>
 *時期 10月〜4月末ごろ、11月ごろが最も雲海が出現する確率が高い
 *時間 明け方から午前9時
 *気象条件 前日に雨が降り(湿度が高いこと)、前日の日中と翌日朝方の気温差が大きいこと
  (放射冷却現象が、起こる日)
 *風のない日
 この条件が、そろわないと「天空の城、大野城」を見る事が出来ません

戌山城址主郭部(後ろ天守閣に当たる・・みくら清水登山口から20分
  
    <戌山城址について>
 室町幕府管領の斯波(しば)氏の一族、斯波義種によって築かれ、金森長近が越前大野城を築くまで
 越前 美濃国境間の要とされていました。
 途中、斯波氏の内紛を機に朝倉氏の居城となり 朝倉氏が信長の軍に敗れた後、織田軍の部将金森長近が城に
 入りました。
 三代目城主持種の子 斯波義敏と斯波義廉との家督争いが発端となって 応仁の乱の一因になったとも言われて
 います。  (参考 大野市観光協会パンフレットより)


堀切3ヶ所の起伏周辺には郭(くるわ)、土橋、竪堀(畝状竪堀)などが確認でき、中世山城の貴重な遺構が残っている
城をより強固なものにするため構築されたと考えられる




越前大野城は、1968(昭和43)年鉄筋コンクリート構造によって再建
大野盆地の西側に位置する亀山標高249mを利用して1576(天正4)年に、約4年をかけ築いた城
麓に二ノ丸、三ノ丸があり、外堀、内堀をめぐらし石垣を組み天守閣を構える城

  <越前大野城の歴史>
1575(天正3)年 織田信長より大野郡の3分2の領土を与えられる
1576(天正4)年 大野城と城下町の建設始める
1580(天正8)年 大野城完成
1775(安政4)年 本丸を焼失
1795(寛政7)年 本丸を再建
1873(明治6)年 廃城令により建物取り壊される

   <大野城石垣 「野面積み(のづらづみ」について>
自然石を加工しないで、積み上げる 16世紀後半の古い形式
すき間に詰め石をする方法で外見は粗雑に見えるが、水はけが良くたいへん頑固な造りとなっている

  越前大野城天守閣 入館料金 大人200円 
  開館時間午前9時〜午後17時まで
  10月1日〜11月30日 午前6時〜午後16時まで 休館12月1日〜3月31日
  大野城天守閣資料より


佛性寺 黒谷観音山門                   黒谷観音堂

 <国生山 佛性寺 黒谷観音>
大同2(807)年に、平城天皇の夢のお告げにより京都黒谷から当地へ創建されたと伝えられている
黒谷観音堂の本尊は、十一面観音 33年に一度だけ御開帳される 次回は、平成33年御開帳の予定
 豊かな肉づけ、張りのあるお顔、蓮花を持ち、流れる衣文、光背の飛天 律動的で優美 平安時代 寄木造り



黒谷観音:四国八十八ヶ所巡り (お砂踏み) 寺裏山約1kmの遍路道





大野市の「いとよ」生息地は、日本の南限地に位置
<イトヨとは、>
体にトゲを持った体長5pの小さな魚 年中15度前後の綺麗な湧水しか生息出来ない
トビウオ科 イトヨ属に属する魚 背に垂直に立つ3本トゲ 腹部真横に突き出す一対のトゲ臀部びれの前に1本付いています。 また平たく円形に近い鱗がありません 「鱗板」と言われる骨質の板状のもの32枚〜35枚少し重なるように並んでいる。
北緯35度以北に分布し、淡水型(一生を淡水で生息する陸封型)と遡河型(通常海に住み、産卵期に川を遡る)
2種類ある。

淡水型(陸封型)イトヨ生息地全国で3ヶ所
*栃木県那須地方
*福島県会津地方
*福井県大野盆地「本願清水」イトヨ生息地 約6000匹が生息してます 昭和9年5月1日国の天然記念物に指定
 大野地方では、昔から「ハリシン」という名前で親しまれてきました また「本願清水」は、越前大野城を築いた
 金森長近公が約430年前に この地を掘り下げて町の用水の水源として整備したのが、始まりと言われている

展示館「イトヨの里」
映像を通して生態を学ぶ事が出来ますまた実際のイトヨ観察も出来ます
開館時間  午前9時〜午後5時まで  入館料大人200円 
休館日 月曜日 祝日の翌日 年末年始12月27日〜1月4日
参考:イトヨの里資料より


 「結の故郷 越前おおの」次回も楽しみたいね。
  七間通り歩きしながら、名水巡り、寺町16ヶ所巡りそして醤油カツ丼 おろしそばかな!